昨日(8月14日)の朝日新聞の「ザ・コラム」で、根本清樹編集委員が、与謝野晶子「駄獣の群れ」という、1915年(大正4年)初出の詩を引用して現在の政治状況を論じています。
 
  此処に在る者は
  民衆を代表せずして
  私党を樹て
  人類の愛を思はずして
  動物的利己を計り
  公論の代わりに
  私語と怒号と罵声を交換す
(孫引きです)
この詩は、当時(第二次大隈内閣)の政治家=国会議員の有様を批判したものだそうですが、今日の政治家、政党にも当てはまるというのが、コラムの論の出発点です。
 確かに、今の国会は、東日本大震災への対応、復興という国全体で取り組むべき最優先課題がはっきりと存在するのに、与党と野党の間のみならず与党の内部でも足の引っ張りあいのような言動が目立ち、肝心の震災対応が遅れ、かつ国民の目から見ると大変ふがいない状態である、と私も思います。
 しかし、当の国会議員、政党の立場からすると、自分が(自分の政党が)政権を握るためには、現政権を持ち上げ支援する・協力するということはマイナスにしかならない、政権を握らないことには自分たちの政策は実現できない、という言い分がありそうです。
また、例えば、財政再建が急務であることが誰の目にも明らかなのに、ばらまき政策を維持したり、増税に踏み切れないのは、国民の人気を失い選挙で敗北する心配があるからです。
政治家は、選挙制度で選任されるため、個人的にも組織的にも選挙で勝たなければ、自分たちの考えを政策と言う形で実現することができない、というあたりに、問題の核心がありそうな気がします。
議会制度発祥の地であり、議院内閣制で(日本の)はるかに先輩である英国議会ではどうなのか、大統領制の米国議会ではどうなのか(ポピュリズムに陥ったり、国民の利益を忘れて政党間で泥仕合のようなことに明け暮れたりが無いのか)議会の先進国の歴史と現状を知りたいと思います。